三十 させごろ 四十 しごろ

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三十 させごろ
四十 しごろ
五十 ゴザかき
六十 ろくに濡れずとも

女性の年齢と性欲を現した格言だ。

現在、どれだけの50代女性が、ゴザの上で腰を振り散らかしとるのか知らんけれど、まあ勢い余って、畳ぐらいはかきむしっているのかもしれん。

女性は、受動態から能動態に変わり、4~50代で性欲のピークを迎える。というコトがこの格言から分かる。
その点、男性の方は、10~30代が性欲のピークで、50代ともなれば性欲が有ったとしても、自分の息子が寝たきりで、パンツの奥に引き籠もり、ただただ、パッキンが緩み、オシッコの後に漏水するような始末。
なんとも上手くいかないものだなぁ。と思っていたら…


徳島県阿南市の町名でもある「十八女」は、「さかり」と読む。
そして、「十八娘」は、「ねごろ」と読むんやと。
更に調べると、「十六女」は「いろつき」と読むらしい。

即ち…
16歳で色気づいて、18歳で盛りというコトになる。

ほほぉ。これであれば、男女の性欲の時期は合致するコトになるわな。

というか、冷静に考えれば、「娘十八 番茶も出花(鬼も十八番茶も出花)」と言われたぐらいなので、14~16歳ぐらいの適齢期を過ぎて、やべぇ~ぞ、となり、スーパーマーケットの夜7時頃の惣菜のように、黄色いシールを貼るような感じで、「盛ってますよ~」とメロンの熟れ頃のような扱いだった。とオレは推測する。
が、しかし、現代を生きるオッサンのオレにとって、18歳の娘なんぞ、輸入される前のフィリピンバナナの如く、青臭くて食えたものではないように思えるが…

医学の発展や、食生活が安定し、暖房や冷房によって暮らしやすくなって、「死」が遠い存在になり、のんびり生きるコトができるようになり、結果、面構えものんびりして、眉間にシワを寄せるコトもなくなった結果、顔も老けなくなって、例えば、昭和30年頃の40歳と平成の40歳と見比べても、若くなった。と感じる。


そのように考えると、最初の「三十 させごろ」の格言も更新の時期なのだろうが、語呂の問題が有るので、「死語」でいつか消えてしまうのかしら。