知覧特攻平和館・万世特攻平和祈念館

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「知覧特攻平和館」は涙無しでは見られない。と鹿児島出身の友人から言われたコトがある。
以前から行きたいとは思っていたものの、何かのついでに行けるような場所でもないので、行けず仕舞いだったけど、今回、やっと行くコトができた。
勝手に閑散としているイメージだったけど、海外の観光客を含め、なかなか盛況だった。

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特攻に向かう若者の遺言が多々展示されている。
自分は今から死ぬコトが確定しているのに、両親の体や、弟妹たち将来を気遣う文面が並ぶ。
ハンカチで目頭を拭う人もいる。

鹿児島に行くにあたり、仕事の同僚からどこに行くのか問われたので、「知覧」と答えると、「なんですか?それ?」との答え。
定番の「知覧?知らん!」との答えでなかっただけが救い。
仕事はアルバイト感覚で、浅い知識のやっつけ仕事、仕事帰りにパチンコに通うその同僚は、50歳に近い。
そんな、後輩の為に死んでいった特攻隊員は浮かばれない。
まさしく「無念」だろうが、知らぬが仏。
そもそも、どんな戦争も、頭脳もしくは技術的に「優秀」な人は、早目に戦死するので、戦後は腰抜けか、カスしか残らない。(女性と子どもを除く)
カスの末裔だから、「さもありなん」とも言える。

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「涙無しでは」と言われていたので、オレは緊張していたけど、靖国神社遊就館などで散々見ている類のモノであったので、免疫が有り、自分でも意外なくらい、淡々と見て廻れた。

パールハーバーの「アリゾナメモリアル」に行った時のコトを思い出したけど、アチラは攻撃を受けた方で、コチラの知覧は攻撃しに出掛けた方なので、立場が違う。
「アリゾナメモリアル」に行った時のアウェイ感は酷かったけど、「知覧特攻平和館」に来たアメリカ人とは気持ちが違うわな。
「アリゾナメモリアル」を思い出すなら、「広島平和記念資料館」や長崎のそれに行った時やな。
しかし、そう考えると、「Remember perl harbor」に対し、「No more Hiroshima」とは、なんとも弱気というか、敗戦国ならではと言うべきか…

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今回、旅行プランを立てるにあたり、いろいろ調べる中で、「南さつま市万世特攻平和祈念館」という施設を発見した。
恥ずかしながら、全く知らなかった。
「知覧特攻平和館」の後に足を伸ばした。

知覧と異なり、駐車場はガラガラだし、記念館の中もガラガラだった。
客層も近所の子どもが図書館的に学習する為に来館している印象だった。
そして、知覧の展示物とダブるモノが多かった。
なんじゃこりゃ?

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知覧飛行場が機能不足となり、万世に補助飛行場が急造され、終戦の年の3月~7月までの4ヶ月間運用された。
201人の特攻隊員が万世飛行場から沖縄に向けて出撃した。
記念館は平成5年に開館した。
…とのコト。

万世飛行場だけで1ヶ月50名の特攻隊員が戻らなかった計算になるから、終戦間際のまさしく玉砕。

知覧に比べ新しい施設であるコトもあり、展示方法など「万世特攻平和祈念館」の方が上手い。
特攻くくりで、知覧に集約してもいいような気はするけど、自治体も違うし、収益云々というモノでもないので、これはこれで有りなのかな。

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