うららかな話

バリバリバリ~と遠慮なく音を立て、水面からの跳ね返りなど気にもせず、肛門が裏返る勢いで脱糞していた時、ふと…
「春の」と来れば、「うらら」が続くような気がしていたけど、昨今、「うらら」を聞かないような気がする。
…と思った。

 

改めて、「麗(うらら)」とはどういう意味なのか調べてみると、「ニコニコ大百科」の説明が一番しっくり来た。

うららとは、のどかでゆったりした春の陽気を表した単語である。うららか。

いつもお世話になっている「Wikipedia」は…

ウララ - アイドルデュオのメンバー。

…に始まり、

うらら - 中澤裕子の11枚目のシングル。

…ともあり、あの中澤裕子が少なくとも11枚目のシングルを出していたコトの驚きが勝ってしまい、「うらら」なんぞどうでも良くなるという始末。


春の隅田川は「うらら」なのかもしれんが、これは歌い継がれた『花』に因るイメージの刷り込みであり、神田川だって春は「うららか」な光景であるのに、カタカタ鳴るような使い込まれた小さな石鹸を持った銭湯通いの人たちが行き交う貧乏くさい川とされるコトは不憫なものだ。
日本人が朝鮮民族だったならば、南こうせつに対し謝罪と補償を求め、御茶ノ水辺りにガリガリに痩せた「銭湯通い像」を建てるのだろう。


「うらら… うらら… うらら… 」とつぶやいていると、当然ながら山本リンダを思い出した。

ウララ ウララ ウララ で
ウララ ウララ ウララ よ
ウララ ウララ ウララ の
この世は私のためにある

この曲を安倍総理がカラオケで歌おうものなら、何も無かったコトをいつまでも追求し、与党からの発議に対しては審議拒否するコトを「まっとうな政治」と呼ぶあの党の議員なんぞ、謝罪と補償を求め、永田町辺りにガリガリに痩せた「山本リンダの像」を建てそうな勢いである。 誇らしげに「Me Too」のプラカードを掲げていたコトも忘れて。

この歌詞の「ウララ」は明らかに、“のどかでゆったりした春の陽気を表した単語”ではない。


また、同様に、石ノ森章太郎ロボコンが0点を取った時に「ウララ~」と言っていたコトを思い出した。
ロボコンは頑張っているのに、抜けているから0点になるだけなので、のどかでゆったりするワケもなく、「あらら~」に近いニュアンスだと思われる。


言葉には流行り廃りは有るものの、これらの事象で本来の意味ではなく「うらら」という単語が使われている。

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にこたま

二子玉川駅のホームで富士山を眺めながら、「うららかであるな」とは思ったものの、新年度の東京は何かと落ち着かない。
社会に出たての野猿と、上京して来た野猿が、都会のルールを理解するコトも無く傍若無人に振る舞う。
まっとうに暮せば、傍若無人に振る舞う機会なんぞ、二度と訪れないであろうから、勝手にするがよいのだが…


例えば、ラッシュ時の電車のドア付近で、自分が降りる駅まで頑として降りない奴が居る。
銀河鉄道999』の世界じゃあるまいし、降りても死なないし、万が一同じ電車の乗れなくても、次の電車がすぐに来る。山陰本線とはワケが違う。
降りる人を通してあげた方が、結果的に早いコトを理解できない。

 

そのように、先住民たちが苦々しく思う日々が続くが、我慢の第一弾はゴールデンウィークまでである。
コンナハズジャナカッタ類たちが実家に戻り帰って来なくなる。
通い始めた学校がリサーチ不足で、イメージと違っていたり、採用した会社の方が読み違いをしていたり、レオパレスの壁が薄かったりで、早々に都会から脱出する野猿がソコソコ居る。

 

次のチャンスは夏休み(お盆休み)である。
トカイノミズハニガカッタ類たちが「3ヶ月頑張ったし…」と自分を褒めて、都会から去って行く。

 

「都会の人は冷たい!」と訴える猿も居る。
関西から来た野猿は実際に口に出したりする。(関西イントネーションで)
「お前ごときが、どうして受け入れられると思ったの?」と逆に問いたい気になる。
が、面倒臭いので、ミ猿、キカ猿アビリティを発揮し、イワ猿と化し、野猿のコトは忘れる。

 

毎年、この季節、同じ思いをする。

でも、半年後にはすっかり平常運転。

野猿が馴染むべく努力したか、馴染めず居なくなったか。

野猿の存在が鼻に付かなくなった頃、やっとうららかな日がやって来る。

いつ頃か?

秋頃かな。

しかし、秋には「うらら」は使えない。

調べてみると、「秋麗」という言葉が有るではないか!

…と同時に、モーニング娘に同名の曲が有るとな!

中澤裕子からの〜、モーニング娘

この時季に…