調布飛行場
「東京都調布飛行場」は、京王線調布駅北口から小田急バスで15分程度の場所に有り不便だ。(京王線より北側なのに、小田急がバスを走らせているのも変な感じ)
「東京都調布飛行場」のターミナルビルは意外と(?)大きい。オレは小屋みたいな想像をしていた。
ターミナルを入ってすぐのところに派出所が有って、オマワリが2人並んで座っていて、出入りする人たちを見張っていた。 まあ、一種高跳びではあるもんなぁ…
2階には展望所が有って、室内、室外どちらからでも飛行機を見られる。
調布飛行場のタイムテーブルは…
調布~大島 1日2便 片道12,000
調布~新島 1日4便 片道14,400
調布~神津島 1日3便 片道15,600
調布~三宅島 1日3便 片道17,500
…となっている。
まず、面白いな。と思ったのが、一番メジャーな(伊豆)大島への便が一番少ないことだ。
(伊豆)大島はジェットを含めた船便が充実しているので、飛行機の方は需要が少ないのだろうと推測した。(飛行場の場所が不便だし)
伊豆七島は、伊豆大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島とされるが、青ヶ島、式根島も有人島なので、「七島」とは差別だ。と訴える人たちもいるらしいが、オレ的にはそもそも伊豆七島を全部言えるヤツがどの程度居るのか怪しいのでどうでもいい。
利島なんぞ 4.12km2 で、3.67km2の式根島は「そんなに変わらんやんけ」と言いたいのかもしれないけど、式根島は行政上、東京都新島村の所属となっている。
青ヶ島は 5.97km2 で利島より大きく「ワシが入っとらんのはどんな了見じゃ!」と言いたいのだろうが、東海汽船の定期航路は八丈島までで、更に南に有る青ヶ島は、八丈島から定員9名のヘリコプターか、定員50名の船で渡るしかないという、小笠原で言うところの母島みたいな秘境なので、行ったことがある人の方が「稀」で、その存在すら知らないのが当たり前では?という気がする。
余談ながら、65歳以上が払う第一号保険料は、全国の市町村の中で青ヶ島が一番高いらしい。
そんな調布飛行場で使われている機材は、Dornier(ドルニエ)228-212 NG。
最後の「NG」は「No Good」ではなく、「New Generation」とのこと。
四角い機体は効率的であろうけど、全然かわいくない。
飛行機が着陸して、ターミナルに寄って来た。
ん?
その狭いトコを通るんか…
客が乗り降りするドアを兼ねたタラップ(写真右側)のステップの幅はドアの幅全体じゃなくて狭いぞ。おい。そして一段目はオレみたいなオッサンには厳しそうな高さ。
パイロットが乗るトコはステップが高いトコに1コ有るだけだから、腹の出たパイロットは乗り降りできないな。
客が乗った後、ドアは外から閉められた。 まあエアバスとかボーイングの飛行機も必ず外の人が閉めているから驚くことでもないけど、なんか閉じ込められた気分。
背景の「武蔵野の森総合スポーツプラザ」は遠目に見ると、いろいろ凝った作りになったるけど、こういったのって、設計者のエゴなんやないの?
1941年に竣工された空港だが、戦中の写真は無い。(アメリカは持ってたはずやけど?)
1974~1978年
丸いところがかっこいい。滑走路が2方向やけど、1本はプロペラ機でも短くないか?
1955年に返還されているけど、アメリカらしいまちづくりの面影(家のサイズや間隔など)が残っている。
1988~1990年
最近の様子だがまだ2方向の滑走路が有る。
建物が整理されている。
現在。
滑走路は1本。
飛行場の周辺には、歴史的な遺産が有る。
この門柱はターミナルから離れた場所に有り、以前の敷地は全然広かったことが分かる。
掩体壕(えんたいごう)とは軍用機を敵の空襲から守るための格納庫。
掩体壕の皇太后
オレは行くぜ電車でGO!
掩体壕 英GO! で言えば Bunker
Bunker? あんたバンカァ~ byアスカ
アスカは惣流~ そう言う? 式波? そう言う?
そう言う? チョロQ
なななな~ なななな~
いきなり出てきてごっめ~ん まことにすいまめ~ん
(なんだ こいつ~)
飛田給~ 脱臼~ セイ!
…と口ずさみながら、変なステップをしたくなる今日このごろ。
大沢1号の掩体壕は飛燕の絵付きで、2号の方は朝日フェンス付き。
この掩体壕に隠されていた本土決戦に備える戦闘機が「飛燕」。
令和のこの世なら「ぴぇん」とも呼ばれるのであろうか?
飛ぶツバメと書いて「飛燕」。
普通のこと。
「捕虫燕」、「並寝燕」、「燕脱糞」といった言葉も有るのだろうか?
建築用語に「犬走り」が有るが、家の外でリード無しで飼われる犬などほぼ居ない現代においては「猫歩き」の方がしっくり来る。
犬走り~ 小尻!
猫歩き~ 食べ歩き!
余談ながら、コンプライアンス云々煩い現代において、建築業界の「はめ殺し」や「めくら」といった香ばしい言葉も殺されていくのかしら?
まぁ、昭和の職人が居る間は残るだろうけど。
実は… というほどのコトではないが、この辺りは新選組ユカリの地でも有る。
オレも活字中毒時代は歴史ものを読み散らかしていたので、その頃訪れていたならば、近藤勇の生家を訪れて、血風を巻き散らかしていただろうが、そこまでの気力が無いので、今回は触れずにいた。