きゃりー何某は日本初左翼系アイドルの座を狙ったのか?

先日の検察庁改正案に抗議した芸能人の顔ぶれは「ああ!そういう人 いたね~」と遠い目になり、感傷的になる人たちであったことは日本国民共通の想いであったろう。
テレビに出ていた頃のドラマの話など思い出話に花を咲かせる家庭も有ったろう。

左翼系マスコミと左翼政党が騒いでいた頃から「ちゃんと中身読んでから批難しろよ!」とマトモな日本人が思っていた最中に、あの人は今系芸能人が乗っかって来たので、いよいよ「Twitter はアレな人発見機」が再確認されるコトとなった。
記憶の片隅芸能人がいよいよ記憶抹殺芸能人となった。


まあよい。


テレビ業界で生きようとする人は、政治的発言をしない方が利口だ。
政治的信条を出すと色が付き、活動領域を狭めるコトになる。

ところが、昨今「芸能人は政治的な発言をしてはいけないのか?」とアレな芸能人が発言している。
どんどん発言すればよろしい。
元々無い露出の場が、更に減って活動はTwitterぐらいで、何で稼いでいるのか、いよいよ不明になるだけだ。


ところが、それら終わった芸能人たちにもメディアへの安定的なメディアへの露出方法が有る。
左翼系芸能人として論客と成ればよいのである。


テレビでは、関口宏恵俊彰、ラジオで言えば、大竹まこと森本毅郎といった司会者に抜擢されれば御の字だが、毎日や朝日の妄言に同調できるコメントができればそれでよい。

担ぐ神輿は軽くて…何とかという。


恵俊彰の番組は、インチキ学者がもっともらしく聞こえるようなコメントをして情弱をペテンにかけているという話は聞くが、番組を見たコトがないので何も言えないのだが、関口宏の番組なんぞ、中身の無いコメントしかできないオイボレが毎週のように出演できている。

これがポイントだ。

オイボレが出演できるというコトは、出演者の新陳代謝がなされていないというコトで、これはオイボレの視聴者が、見慣れたあの人が毎週同じコトを言ってくれる安心感を持つコトに拠るものと考えられる。
言い方を少し変えるだけで、毎週同じ論調でよいのだ。
オイボレがオイボレに向けて発信するヨイヨイ向けバラエティーなので、内容を変えるとオイボレが混乱してしまう。

余談ながらオイボレの論客ではなく、左翼系論客に若手は誰かいたっけ?と考えると…
荻上チキはTBSラジオで番組を持っているコトもあり堂々とタマに出ているようだ。ラジオ番組を始めた当初は賢い人やわぁと思ってよく聞いていたが、ドンドンズルズル暗黒面に落ちてしまった。
三浦瑠麗はバラエティーのフジテレビに呼ばれるので、おんや?右の人なんかな?と思ってしまうが、ヒステリックなぐらい左巻きの論客だと思う。
ケムに巻くようなコメントをするので、関口宏の番組に呼ばれたとしてもオイボレ司会者とオイボレコメンテーターの脳内血液が止まってしまうし、当然視聴者のオイボレも取り残されるので適していない。

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閑話休題
検察庁改正案抗議の件で、懐かしの芸能人にスポットライトが当たったワケだが…

小泉今日子は代表格だった。
しかし、最近の彼女は、電車の中でブツブツと一人文句を言っている視線が合わない類のオジサンの様なホンモノ感が有り、近くに座っていた人がドンドンいなくなるように、マスコミも深追いはしない。
ホンモノは実名出しちゃダメなんだよね?


そこへ我らが きゃりー何某が抗議代表に躍り出た。
その姿は不自由の女神!!

明らかに内容がアレな絵が添付されていたのが致命傷になったのかな?
有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』風に言うと、単なる読モ上がりのくせにアーティスト面(づら)する、きゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ、通称、きゃりー何某は「アーティスト」らしいので、当然、誰かから受け取ったデータではなく、本人が作成したモノであるコトは疑いようがない!
「アーティスト」がパクリなんぞするワケがない!


きゃりー何某はあの路線のまんま進むと、何れ、関西のボヨヨ~ンの人みたいになり、最後は、林家パー子に成る上がるコトは容易に推測できる。というかそれ以外の選択肢はない。
声質も同じだし!

ただ、それら先輩と違い、彼女はギャグを持っていない。(「にんじゃりばんばん」がギャグだったならば謝罪する)
そこで、何か特色が必要と考えるのは当然である。
そこで、今回の立憲民主党などアレな野党への同調である。
そして事務所のチカラか知らんが、見事な躍進っぷり!

よっ! 不自由の女神!!

 

その外観から、当時の原宿系(裏原でなく竹下通り)の女子たちのカリスマのような扱いをされていたような記憶が有るが、オレには第2の水森亜土篠原ともえにしか見えなかった。


彼女らキワモノ芸能人は、一応生身の人間なので、月日が経つと一般人同様、顔や体形が劣化する。
そうすると、奇天烈な服や髪型とセットで成立していたものが、それらを着けている肉体の方だけが劣化するコトになる。
極端な話、ゾンビがおろしたての服を着ているような状態となる。
ゾンビ映画などで、出来立てのゾンビがボロボロの服を着ているコトは理論的に間違っている)


篠原ともえジョブチェンジがうまくいって再登場できた。
再び消えたけど、面倒を見たいという金持ちの禿げ茶瓶がいると思う。

水森亜土デーモン閣下ナジャ・グランディーバは、某都知事と同様、厚化粧の大年増方式を採用し、ある意味お面を被ったままなので、経年変化がバレにくい。
ちなみにWikipediaを見る限り、水森亜土はまだゾンビになっていない。


さて、我らが きゃりー何某は、『ボクらの時代』では、いつものちんどん屋のコスチュームでなく、一般人が着るような服を着ていた。
原宿を歩いていても、『popteen』や『egg』ではなく、『ニッセン』とか『ディノス』の読者モデルの勧誘に声をかけられるコトはありそうな感じだった。
まだまだいける!
よ! 読者モデル! 読モ!
にんじゃりばんばん


歌謡活動は、田中ヤスタカがその運命を握っているのだが、共作の新譜も出ているようなので縁は切れていないようだが、キワモノ故に賞味期限切れだ。
(それにしても、田中ヤスタカはperfumeとそれ以外とではクオリティが雲泥の差なのだが、契約上の何かあるんやろか?)


まあ、そんなワケで、トカゲの尻尾にすぎない青木理の席に きゃりー何某が座る姿を想像するのはオレだけか?